こんにちは、もつみです。
かなりストレートなタイトルにしてしまいました。お気を悪くした方がいたらすみません。
というのも私は自分が妊娠するまで、通勤電車でマタニティマークをつけた妊婦さんを見かける度、
「えっ、出社してるってことは元気なんじゃないの?」
「本当に辛いなか移動を強いられているなら、公共交通機関は使わないはずだよね?」
と、純粋な疑問を持っていました。
(だからと言って席を譲らないということではないですよ。未知の世界に対する単純な疑問です。)
そして同時に、
「妊娠幸せアピールかあ…」
と、漠然と マタニティマーク=“特権の盾”にしているようにも感じ、
自分が妊娠したらマタニティマークは付けたくないなとも思っていました。
でも、いざ自分が妊娠してみて、元気そうに見える妊婦さんが実際どう感じているのか、
マタニティ―マークが何を意味しているのか理解できました。
今回は私が実際に経験して分かった「元気そうな妊婦のマタニティマークへの本音」と、
そこから考えた幸せへの近道についてシェアします。
妊娠初期は自分は元気でもお腹の子が心配
わたし、体型的にも華奢とは程遠くガッシリしてるし、
運動大好きだし、仕事でも体育会系の現場でやっていけるくらいガッツはあるし、
妊娠しても「妊婦」を主張しなくても元気に過ごせると思っていました。
でも、“私が元気=お腹の子供も安全”ではないと、妊娠して初めて気付かされました。
つわりが辛いのはもちろんのこと、妊娠初期は本当に流産の可能性が高く、
転倒や圧迫に特に気をつけなきゃいけないと産婦人科でも言われます。
せっかく宿した命、何が何でも守らないと!
自分の体調がどうかというよりも、自分の不注意のせいで子供に何かあったらどうしようと、
とにかく不安な気持ちでいっぱいなのです。
「そんなに心配なら電車に乗らないほうが良いのでは?在宅勤務にしたら?」
そうできるなら、本当にそうしたい。けど、会社のルールには従わないといけない。
そんな複雑な気持ちで毎日電車に乗っていたのです。
ですから、マタニティマークを付けた大人が元気かどうか、席を必要としているかどうか、というよりも、
「不安だよね。電車乗りたくないよね本当は。」
そんな気持ちで見守ってくれたら嬉しいなと思いました。
SNSの“モヤモヤ投稿”にも、ちょっと思うことがある
一方で、妊娠中によく目にするようになったSNS投稿もあります。
「マタニティマークつけてたのに誰も譲ってくれなかった!」
「子供を二人も抱えていて大変なのに、目の前のおばさんは寝たふり。信じられない。」
……気持ちはとてもよくわかります。
だけど、ふと思うのです。
“あなた自身は、妊娠していないとき、誰かに席を譲れていた?”
“マタニティマークがない誰かを、思いやる想像力を持てていた?”
たとえば、優先席で目を閉じていた人は、38度の熱でフラフラだったのかもしれない。
街中で知り合いを見かけて手を振ったのに無視されたのは、弱視で見えなかったからなのかもしれない。
カフェで無愛想な店員さんは、昨日、大切な人を亡くしたのかもしれない。
マークがなくても、みんな何かを抱えてる
妊婦になって、たしかに私は“助けられる側”になりました。
でもその立場に立ってみて初めて分かったのは、
「自分のしんどさ」だけじゃなくて、他人の見えないしんどさもあるということでした。
誰もが“マーク”をつけているわけじゃない。
だけど、誰もが何かしらの事情を抱えて生きている。
真実なんて分からない。
でも、想像することはできる。
誤解だったとしても良いのではないでしょうか。
別に相手から感謝されなくても良いのではないでしょうか。
「誰かを思って行動してみる」
これだけで、自分の徳積みポイントがどんどん貯まっていくような気がして、とっても幸せな気持ちになれるんです。
損得じゃなくて、マナーとか正しさでもなくて、
“誰かの背景を思い描く力”が広まったら、もっとみんなが生きやすい社会になるのにな。
おしまい
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